大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和25年(う)3691号 判決

控訴人 被告人 川勝源兵衛

弁護人 広重慶三郎 渡部繁太郎

検察官 折田信長関与

主文

本件控訴は之を棄却する。

理由

本件控訴理由は末尾添付の控訴趣意書の通りである。

一、広重弁護人の控訴理由第一点及び渡部弁護人の控訴理由第二点の一及び七について。

弁護人は被告人は原判決第一の一及び第三の二の事実については出張不在中のことであるから関係がないと主張するけれども、その理由なきこと原判決が被告人及び弁護人等の主張排斥の理由二及び六に説示した通りであつて記録を精査しても原判決の説示に誤はない。

二、広重弁護人の控訴理由第二点第一の二、第二の二、三、第三の一の事実及び渡部弁護人の控訴理由第二点の二、四、五、六について。

弁護人は原判決第一の二、第二の二、三、第三の一の贈与は賄賂としてなされたものではないと主張するけれども、その理由のないことは原判決が被告人及び弁護人等の主張排斥理由四、五に説示した通りであつて記録を精査しても原判決の説示に誤はない。

三、広重弁護人の控訴理由第二の一の事実及び渡部弁護人の控訴理由第二点三について。

弁護人は原判決第二の一の贈与は当時被告人は極度の虚脱状態にあつたのであるから犯意がないと主張するけれども記録を精査してもかかる事実を認むるに足る証拠がない。又弁護人は右贈与は恐喝されたものであると主張するが、その理由のないことは原判決が被告人及び弁護人等の主張排斥理由三に説示の通りであつて記録を精査しても原判決の説示に誤はない。

四、広重弁護人の控訴理由第三点及び渡部弁護人の控訴理由第一点の一について。

弁護人は原判決第一及び第二の事実は被告人が井上忠光の職務に関し賄賂を供与したと認定したが職務に関しないと主張するけれども、その理由なきこと原判決が被告人及び弁護人等の主張排斥理由一に説示した通りであつて記録を精査しても原判決の説示に誤はない。

弁護人は大阪府保険課長は各種保険施設の運営については指導監督をするが、病院の建築や機械の設置については管掌しない。殊に本件布施診療所は国民健康保険法に基くものであるから建築の主体は市町村又は組合であつて井上忠光は本件建築工事については何等権限がないと主張するけれども、原判決挙示の証拠によれば布施市民病院は健康保険法に基く政府所管の診療所であつて国民健康保険法に基くものでないこと、及び井上忠光は大阪府民生部保険課長として健康保険法に基く診療所其の他の保険施設に関する事項を担当していたことが認められる。健康保険法第二十二条によれば健康保険の保険者は政府及び健康保険組合であると規定せられている。従つて保険者である政府が保険施設を設備すること当然であつて、弁護人の主張は右二種の保険法の差異を辨えない結果である。又弁護人は本件船員病院については井上忠光にその建築工事について権限があつたか否か明らかではないと主張するけれども、原判決挙示の証拠によれば井上忠光は当時大阪府民生部保険課長として船員保険法に基く船員保険の保険施設に関する事項を担当しており、本件船員病院は政府所管の建築工事であり井上は右工事施行の責任者であることが明瞭である。所論は全て事実を無視した独自の見解に基くものである。

五、渡部弁護人の控訴理由第一点の二について。

弁護人は原判決は第三の二において被告人が大阪府土木部特別建設課工事係長杉本清範に対し昭和二十三年十月中旬頃現金五万円を贈賄した事実を認定したが同人は同年九月十四日建築部指導課に転任していたことが明らかである。従つて右転勤後において転勤前の職務に関して金員を交付しても本罪は成立しないと主張する。

しかし原判決挙示の証拠と当審証人稗田治の供述によれば杉本清範は昭和二十一年五月大阪府技術吏員に任ぜられ昭和二十三年一月大阪府土木部特別建設課工事係長を命ぜられ、工事の現場監督査定並びに竣功検査に関する事項や連合国人財産保全に関する事項を担任していたが、同年九月大阪府建築部指導課処分係長を命ぜられ、違反建築に関する処分、監視、指導の事項を担任するようになつたこと、昭和二十四年五月同課特定部門係長に転じたこと、竝びに大阪府建築部は、もと大阪府土木部建築課等から昭和二十三年九月独立して大阪府建築部となつたものであることが認められる。しかして刑法第百九十七条乃至第百九十七条の三及び第百九十八条にいわゆる職務とは公務員の現在担任する具体的の事務に限局するものではなくして、公務員がその資格上担任する一般的職務であれば足りる。従つて大阪府技術吏員たる大阪府土木部特別建設課工事係長が大阪府建築部指導課処分係長に転任しても、均しく大阪府技術吏員としての職務に従事するものであつて、転任に因つて其の一般的職務に異同を生ずるものではない。従つて杉本清範が右工事係長より右処分係長に転任後、其の転任前の職務行為に関し賄賂を収受しても収賄罪が成立し、之に賄賂を交付するときは贈賄罪が成立する。論旨は独自の見解にすぎない。

六、渡部弁護人の控訴理由第三点について。

弁護人は原判決は適条として刑法第百九十八条を適用したのみで同法第百九十七条乃至第百九十七条の三のいずれに規定する賄賂であるか明らかにしていないから法律の適用に誤があると主張するけれども、法律の適用は原判決の認定した罪となるべき事実に対してなされるのであるから本件のように右事実において刑法第百九十七条第一項に規定する賄賂であることが明らかである以上適条として同法第百九十八条を明示するをもつて足り更に同法第百九十七条を適示するが如きは蛇足である。論旨は理由がない。

七、渡部弁護人の控訴理由第四点について。

弁護人は原審の科刑は不当であると主張するけれども、所論を考慮に入れて記録に現われた諸般の情状を考察してみても原審の科刑は相当であつて不当な量刑ではない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 松本圭三 判事 綱田覚一)

弁護人広重慶三郎控訴趣意

原判決ノ要旨ニ依レバ被告人ハ土木建築ノ請負ヲ業トスル株式会社松村組ノ業務部長ナル処

第一一、昭和二十三年五月下旬右会社ガ国民健康保険法ニ基ク施療施設タル布施市民病院ノ改築工事ヲ請負ニ際シ大阪府民政部保険課長井上忠光ニ対シ同工事ノ入札ニ加入セシメラレ度キ旨請託シ其ノ対償トシテ同人ニ矢野義雄ヲ通ジ現金弍万円ヲ贈与シ、二、同年十二月下旬頃松村組ガ右改築工事ヲ完成シ其ノ竣巧検査ノ際ニ右井上忠光カラ便宜ナ取扱ヲ受ケタコトニ対スル謝礼並ニ将来モ同様ナ取扱ヲ受ケ度イ請託ノ下ニ同人ニ対シ現金弍万円及サントリーウイスキー一本ヲ贈与シ

第二一、昭和二十四年三月下旬頃右松村組ガ船員保険法ニ基ク船員病院ノ建築工事ヲ請負フニ際シ右井上忠光ニ対シ同工事ノ入札加入方ヲ請託シ其ノ対償トシテ同人ニ現金参万円及サントリーウイスキー一本ヲ贈与シ、二、同年四月下旬頃右船員病院ノ建築工事ヲ請負ハシテ貰ツタコトニ対スル謝礼並ニ将来モ同様便宜ナ取扱ヲ為サレ度キ旨ノ請託ノ下ニ井上忠光ニ対シ現金弍万円及清酒一本ヲ贈与シ、三、同年六月下旬頃右松村組ガ右船員病院ノ竣巧検査及工事費ノ支払ヲ受ケルニ付キ右井上忠光カラ便宜ナ取扱ヲ受ケタコトニ対スル謝礼並ニ将来モ同様ナ取扱ヲ為サレ度キ旨ノ請託ノ下ニ同人ニ対シ現金弍万円及サントリーウイスキー一本開襟シヤツ二枚ヲ贈与シ

第三一、昭和二十三年八月頃右松村組ガPX等維持管理工事ニ付テ大阪府土木部建設係長杉本清範カラ其ノ工事監督竣巧検査ニ付テ便宜ナ取扱ヲ受ケタコトニ対スル謝礼並ニ将来モ同様ナ取扱ヲ為サレ度キ旨ノ請託ノ下ニ同人ニ対シ現金参万円ヲ贈与シ、二、同年十月下旬頃同趣旨ノ下ニ同人ニ対シ真継昇ヲ通シ現金五万円ヲ贈与シ

以テ井上忠光及杉本清範ニ夫々職務ニ関シ賄賂ヲ供与シタモノデアルト認定シ被告人ニ対シ刑法第一九八条同第四五条同第四八条、同第一八条並ニ判示第二ノ事実ニ付キ特ニ罰金等臨時措置法第二条、同第三条ヲ適用シテ罰金五万円ニ処スル旨言渡シタ

然シ右判決ハ下記ニ於テ訴ヘル通リ事実ノ認定ヲ誤ツタ違法ノモノト信ズル

第一点原判決第一ノ(一)及第三ノ(二)ノ事実ハ何レモ被告人ノ関知セザルモノデアル即チ原判決第一ノ(一)ヲ案ズルニ証人矢野義雄ノ証言ニ徴スレバ同人ハ被告人ノ部下堤謙二ヨリ本件金員ヲ井上忠光方ニ持参スル様ニ申付ケラレテ之ヲ渡サレタト謂フニアツテ被告人カラ命ゼラレタモノデモ無ク又被告人カラ渡サレタモノデモ無イ尤モ原判決ニ於テ援用シタ堤謙二ノ司法警察官ニ対スル供述調書ニヨレハ同人ハ被告人ノ命ニ依ツテ矢野ニ命シタトノ供述記載ガアルケレ共当時堤ハ肺ヲ病ミ衰弱甚シイ裡(現在重症ノ由)ニ為サレタ臨床訊問ニ於ケル応答デアル為メ常識的ニ見テ極メテ苦痛ノ裡ニ為サレタモノト認ムルヲ相当トシ脅迫等ニヨル訊問デハ無イニシテモ極メテ非任意的ノ供述ト認メルノガ相当デアル従テ同人ノ供述ニハ信憑力ガ無イノミナラズ証拠トシテ価値無キニ帰スル加之原審公判ニ提出サレタ松村組ノ会計帳簿ニヨレバ昭和二十三年五月二十二日矢野義雄ニ対シ雑費弍万円ヲ支出シタ旨記載サレテアルノガ即チ本件弍万円ニ該当スルモノナルコト原審公判調書ヲ通ジテ明ラカデアル然ルニ原審公判ニ提出サレタ松村組昭和二十三年度各店旬報抜萃並ニ証人河田与一ノ証言ニヨレハ被告人ハ同年五月二十日大阪ヲ出発シ同二十一日高松市着同月三十一日迄同地ニ滞在シテ居タコト明カテアツテ問題ノ五月二十二日ニハ被告人ハ大阪ニ居ナカツタノデアル即チ推定サレル犯罪時ニ被告人ハ其ノ犯所ニ居ナカツタコト明カテアル次ニ原判決第三ノ(二)ヲ案ズルニ原審証人杉本清範同真継昇同井口糾ノ各証言ヲ綜合スルニ杉本ハ真継昇ニ対シ其ノ前頃カラ「部署転出ニ際シ旧部下ヲ慰安スル必要ガアルノデ其ノ費用トシテ拾万円ヲ寄附シテ呉レ」ト要求シ、真継ハ之ヲ被告人ニ取次イダガ被告人ハ「左様ナ大金ハ出セナイカラ断ツテ置ケ」ト云ヒ真継モ之ヲ諒承シ其ノ話ハ其ノ侭ニナツテ居タコトガ認メラレル而シテ前顕各店旬報抜萃並ニ証人小林叶ノ証言デ明カナ様ニ被告人ハ昭和二十三年十月十一日ヨリ同月二十三日迄東京ニ出張滞在シテ居タ事実ガ認メラレル処証人杉本清範同真継昇同井口糾ノ証言ヲ綜合スレハ同月十八日杉本ハ真継ヲ電報デ呼ヒ寄セ執拗ニ右十万円ノ寄附ヲ要求シタノデ真継ハ自己一存ノ計ヒデ之ヲ五万円ニ減額シテ其ノ支出ヲ承諾シ会社ニ帰リ会社ノ総務部長兼会計課長デアル井口糾ニ支出方ヲ相談シテ五万円ヲ同会計カラ受取ツテ即日之ヲ杉本ニ渡シタコトガ認メラレル即チ証人真継ノ証言並松村組ノ会計帳簿ニヨレハ昭和二十三年十月十八日真継ニ対シ旅費二口合計拾五万七千七百四拾円ヲ支出サレタコトニナツテ居リ其ノ支出旅費中ニ本件五万円ヲ含ンデ居ルコトガ認メラレル果シテ然リトスレバ此ノ五万円ノ支出サレタ際ニモ被告人ハ犯所ニ居ナカツタノデアリ被告人ガ「関知セズ」ト弁疏スルノハ極メテ当然デアル或ハ被告人ガ事前ニ真継ニ対シ杉本ヘノ贈与ヲ承認シ又ハ予メ命ジテ居タノデハ無イカトノ疑ガ起ルカモ知レヌ原判決デハ証人井口糾ノ会計帳簿記載方ニ関スル証言中「関係書類ノ整理ヲ待ツテ二、三日後ニ記載スルコトアリ」トノ証言ヲ援用シテ本件五万円ノ支出ハ必ズシモ十月十八日ニアラズシテ其ノ前ニ為サレタノヲ十月十八日ニ記載サレタガ井口糾ノ右証言ハ一般的ナ記載方法ニ関スルモノテアツテ本件五万円ノ如キ「臨時」ノ支出ノ日時ヲ左右スル価値ハ無イ又原判決デハ同年八、九月頃ヨリ本件支出ニ関シテ被告人ト真継トノ間ニ話ガ交サレテ居タトノ点ヲ捉ヘテ恰モ被告人ガ事前ニ支出方ノ承認ヲ与ヘテ居タコトノ認定資料トサレテ居ルケレドモ前叙ノ通リ被告人ハ事前ニハ真継ニ対シ「断ツテ置ケ」ト申付ケ其ノ侭上京シ東京ヨリ帰社シテ真継ヨリ報告ヲ受ケテ致シ方ナク事後承認ヲシタコトガ認メラレ事前ニ被告人ガ承諾ヲ与ヘタリ命ジタリシタ証左ハ無イ然ルニ原判決ハ之等二個ノ事実ニ付キ被告人ニ罪アリト認定シタ無論裁判ハ裁判官ノ自由心証ニヨルモノデアリ証拠ノ採否、価値判断モ亦裁判官ノ自由専権ニ属スルトコロデアルケレドモ明ラカニ犯所不在ノ証明ガアリ且ツ予メ謀議シタ証左モ無ク又事前ニ支出ヲ承諾シタ証拠ガ無イニ不拘有罪ノ認定ヲシタノハ採証ヲ誤ツテ事実ヲ誤認シタモノデアリ当ニ破棄セラルベキモノト信ズル

第二点原判決認定ノ爾余ノ贈与ハ其ノ趣旨ニ於テ贈賄トハ認メ難イ即チ賄賂ハ職務ニ対スル報酬デアル従テ判例モ繰リ返シ居ル様ニ贈答者間ニ仮リニ職務的ノ関係ガアルニシテモ社交上ニ於ケル儀礼的贈答ノ範囲ニ属スル限リ賄賂ト認ムルコトハ出来ナイ其ノ如何ナル程度ノモノガ社交上ニ於ケル儀礼的ノ範囲ナリヤハ全ク法律論デアルガ其ノ基準ハ贈答者双方ノ社会的地位、贈答ノ時季、交誼ノ親疎、贈答品ノ多寡等ニヨシテ決セラルベキモノデアル今本件ニ付テ之ヲ見ルニ

第一ノ(二)ノ事実 時恰モ十二月下旬デアツテ世間デハ一般ニ歳暮ノ贈答ニ賑フ頃デアル被告人ノ弁疎並ニ真継昇ノ証言ヲ綜合スレバ被告人ハ井上忠光ト仕事ヲ通ジテ公的ニ又私的ニ交渉アル間柄ナル為御歳暮ヲ贈ル必要アリト考ヘ真継ニ対シ何カ品物ヲ買求メテ届ケル様ニト命ジテ金弍万円ヲ水引モ掛ケズ新聞紙ニ包ンダ侭デ交付シタ事実ガ認メラレル此ノ弍万円ト云フ数額ハ戦前ノ観念カラスレバ必ズシモ少額デハ無イケレドモ昭和二十三年十二月頃ノ物価指数ハ戦前ノ夫レニ比シ大略二百倍ニ当リ戦前ノ指数ニ換算スレハ僅カ百円ニ過ギナイノミナラズ被告人ノ弁疎ニ明ラカナ様ニ被告人ノ会社ノ贈答ニハ相手ニヨリ二百円程度ノモノヲ贈ルコトハ決シテ鮮クナイ尚又建物ヲ新築シタ場合記念品又ハ落成式ノ費用ノ一部トシテ寄附スル慣行モアツタノデ時タマ布施診療所ガ年末落成シタ際トテ被告人ハ会社ノ其ノ慣行ニ従ツテ本件贈答額ヲ決定シタモノデアツテ主観的ニ見テ被告人ハ飽ク迄モ御歳暮又ハ落成記念品ノ認識シカ無ク客観的ニ見テ被告人ノ会社ノ為ス落成記念品又ハ歳暮トシテ社交的儀礼ノ範疇ニアルモノト認ムベキデアル原判決ハ御歳暮ニ藉口シテ贈賄シタト認定サレタケレドモ賄賂カ否カガ先ヅ決セラレナケレバ藉口シタカ否カ判定サレナイ筈デアル原判決ハ賄賂ナリヤ否ヤノ検討ニ審理ガ尽サレテ居ナイ

第二ノ(一)ノ事実 原審証人竹内成夫及野元義徳ノ各証言ヲ綜合スレバ本件船員病院ノ建築ニ当リ井上忠光ハ何ノ為カ之ヲ下田組ニ請員ハシメ様トノ下心カラ該工事ノ入札ニ際リ被告人ノ会社松村組ヲ其ノ入札カラ手ヲ引カシムル要ガアルト考ヘ竹内営繕課長ノ面前デ被告人ニ向ヒ突如トシテ「船員病院ノ建築工事ノ指命ニ入レナイ」ト申向ケ同時ニ竹内営繕課長ニ執拗ニ下田組ヲ入札者ニ加入サシテ貰ヒ度イト申入レタ事実ガ認メラレルガ此事ハ被告人ニ取ツテハ実ニ青天ノ霹靂デアツタ松村組ニ入ツテ茲ニ二十年其ノ間其ノ為人ト技術ヲ買ハレテ官庁、会社、工場等ノ幾多大工事ヲ請負ヒ社内ニ於テハ勿論業界ニモ重キヲ為シ未ダ曾テ此種ノ疎外的侮辱的ノ言辞ヲ受ケタコトノナイ被告人殊ニ業務部長ト云フ社内唯一ノ受注責任者ノ地位ニアル被告人トシテ其ノ言葉ヲ聴イタ瞬間真ニ忙然自失シ文字通リ周章狼狽其ノ為ス処ヲ知ラズ自己ヲ忘レテ之ガ善後策ヲ井上忠光ノ部下野元義徳ニ相談シタ結果直グニ手土産ヲ持参シ井上ニ相談スルニ如カズト教ヘラレ溺レル者藁ヲモ掴ムノ諺通リ不案内ノ夜道ヲ遥々井上方ニ赴イテ参万円ヲ贈ツタノデアル幸ニシテ入札ノ方ハ井上忠光ノ策動ニモ不拘竹内営繕課長ガ井上ノ要求ヲ一蹴シテ経歴並ニ実力ノ少ナイ下田組ヲ排シ断固府庁長年ニワタル出入業者ノ松村組ヲモ入札者ノ内ニ指名シ競爭入札ノ結果結局最底入札者タル松村組ガ落札スルコトニナツテ事無キヲ得タモノノ井上忠光ヲ訪レタ際ノ被告人ハ失心虚脱全ク夢遊病者ノ如ク自己ヲ失ヒ自由意志ヲ失ツテ居タモノト認メルノガ相当デアル原判決デハ未ダ恐喝ノ程度ニモ至ツテ居ナイト認定サレタガ被告人ノ主観ニ於テハ極度ノ自失ニ襲ハレテシタモノニ外ナラズシテ犯意無カリシモノニ帰着スル

第二ノ(二)ノ事実 被告人ハ終結一貫花見ノ会費ノ積リダツタト弁疎シテ居ル当時恰モ花ノ季節デアツテ原審公判ニ提出サレタ井上幸男ノ日記及同人ノ供述書ニヨレバ当日朝ヨリ被告人ノ外倉元高石ノ諸氏ト花見ノ宴ヲ開イタコトガ認メラレル而シテ被告人ノ弁疎ニヨレバ井上忠光カラ自宅ノ桜ヲ自慢ニ花見ノ招待ヲ受ケタガ被告人トシテハ行ケバ手土産ガ要ルノデ余リ気ハ進マナカツタケレドモ行カヌ訳ニモ行カズ遂ニ行クコトニキメ行クカラニハ会費モ要ルノデ本件金品ヲ持参シタト謂フニアツテ被告人ノ主観的ナ認識トシテハ単純ニ観桜会ノ会費ニ過ギナイ尤モ弍万円ト云フ数額ガ果シテ妥当カ否カ検討ノ余地ガアルケレドモ被告人ハ当日ノ御客ハ相当多人数ニ及ブコトヲ予想シテ夫等ノ御客ヲモ招待スルト云フ気持デ持参シタノデアル而シテ自ラモ亦十二分ニ酔ヲ得テ一日ノ清遊ヲ縦ニシテ引揚ゲタノデアルカラ本件弍万円コソ真ニ儀礼的ノ贈答ト認ムヘキデアル

第二ノ(三)ノ事実 其ノ前日ニ井上忠光方ニ鶏小屋ヲ作リニ行ツタ松村組ノ大工ガ井上方デ酒ヲ呼バレ非常ナ醜態ヲ演ジ甚ダ失礼ナコトヲシタノデ其ノ陳謝ニ赴クニ当ツテ之モ亦手土産代リニ本件金品ヲ持参シタモノデアルガ金額ノ多寡ハ其ノ人ニヨリ場合ニヨツテ異ナルモノナルコトハ多言ヲ要セヌトコロ時恰モ船員病院ガ新装ナリテ落成シタノデソノ落成記念品代モ含メテ持参シタノデ本件モ亦儀礼的ノ範囲、儀礼的ナ答贈ト認メラレテ然ルベキモノト信ズル

然ルニ原判決ハ之等総テノ贈答ヲ何レモ儀礼的ノモノニ藉口シ其ノ機会ヲ巧ミニ掴ンデ贈賄シタモノト認定サレタ裁判ハ自由心証ニヨルモノデアリ其心証形成ノ基礎トナル証拠ノ採否証拠価値ノ判断モ無論裁判官ノ専権ニ属スルトコロデハアルケレドモ前ニモ訴ヘタ通リ賄賂ナリヤ社交的儀礼ノ贈答ナリヤハ人ニヨリ季節ニヨリ場合ニヨリ個々ニ決定セラルベキモノデアツテ職務的関係アルノ一事ヲ以テ易ク決セラルベキモノデハ無イト信ズル然ルニ原判決ハ之等個々ノ検討ヲ怠リ判断ヲ誤リ結局採証ノ法則ヲ誤ツテ事実ヲ誤認シタモノデアツテ当ニ破棄セラルベキモノト信ズル

第三ノ(一)ノ事実 原審証人杉本清範ノ証言ニヨレバ官界ノ通弊トシテ中央官庁ヨリ役人ノ見ヘル際ニハ下級官庁ハ之ガ慰安ノ為メ歓迎宴ヲ開クヲ常トスルガ当時中央ヨリ役人ガ視察ニ見ヘルコトニナツタニ不拘其ノ歓迎費ノ予算ガ無カツタノデ松村組其他ニ相談シテ寄附シテ貰ヒ之ヲ資ニシテ京都デ一席ヲ設ケタト謂フニアツテ被告人モ其ノ事情ヲ知ツテ出捐ンタコトハ一貫シテ陳述セルトコロデアルガ思フニ例ヘバ警察署ガ庁舎改築ナリ道場ノ建設費用ヲ官公立ノ学校ガ教職員ノ待遇改善費ヲ又官公庁カ現場説明費ヲ夫々冥加金トシテ之ヲ寄附ニ待ツコト其ノ当否ハ別トシテ今日普通ニ公然ト行ハレテ居ル慣習デアル本件参万円モ正ニ其ノ部類ニ属スル冥加金デアツテ被告人トシテハ之ヲ出捐スルニ当リ何等否法ノ認識モ無ク違法ノ考ヘモ無ク従テ不法ヲ敢テシ又罪ヲ犯ス意思ハ毫モ無カツタノデアル原判決ガ之ヲ有罪ト認定シタノハ之亦事物ノ判断ヲ誤リ事実ヲ誤認シタコトニ帰着シ当ニ破棄セラルベキモノデアル

第三点井上忠光ニ対スル贈与ハ職務ニ関シテ為サレタモノナリヤ否ヤ審理不充分デアル

原判決ハ其ノ第一及第二ニ於テ被告人ハ何レモ大阪府民生部保険課長井上忠光ニ対シ贈賄シタト認定シタガ根本的ニ見タ場合果シテ贈収賄ノ要件タル職務関係ガ当事者間ニ存在スルカ否カ疑無キヲ得ナイ

即チ賄賂罪ノ成立スルニハ贈与ガ職務ニ関スルモノデ無ケレバナラヌ而シテ其ノ職務ニ関スルトノ意味ハ広ク職務ニ関渉シ又関連アル場合ヲ指スコト判例ノ説明スル処デハアルガ今本件ニ付イテ此点ヲ考フルニ原審記録ニヨレバ本件布施診療所並ニ船員病院ハ前者ガ国民健康保険法後者ガ船員保険法ニ基イテ夫々建設セラレタモノデアル而シテ国民健康保険ハ市町村及組合ガ之ヲ運営シ政府ハ其ノ運営ヲ監督シ費用ノ補助ヲ為ス立場ニアリ船員保険法ニヨレバ同保険ハ政府之ヲ管掌シ福祉施設モ政府ニ於テ之ヲスルコトニナツテ居ル原審記録ニアル証拠書類中井上忠光ニ対シテ費用支出ノ委任ヲシテアル(本来ハ大阪府民政部長ニ委任)(一)厚生保険業務費中診療施設整備費五、五〇〇、〇〇〇円(布施診療所設備費ニ当ル)(二)船員普通保険費中診療施設整備費三、〇〇〇、〇〇〇円(船員病院設備費ニ当ル)ノ支出ハ即チ前者ハ政府ガ補助金トシテ交付シ後者ハ政府自身ノ為ス福祉施設費トシテ支出シタモノト解セナケレバナラヌ、而シテ大阪府保険課事務分掌内規ニヨレバ井上忠光ハ其ノ第四条ノ(三)ニ於テ国民健康保険ノ療養所其他保険施設ニ関スル事項ヲ管掌シ又同第五条ノ(六)ニ於テ船員保険ノ保険施設ニ関スル事項ヲ管掌スルコトニナツテ居ルガ永年大阪府保険課ニ勤務シタ証人野本義徳ノ証言ニヨレハ此ノ内規ノ定ムル趣旨ハ「施設ノ運営」ニ関スル管掌デアツテ施設ヲ築造シタリ建設シタリスル仕事迄モ管掌スル意味デハナイ」ト謂フニアツテ即チ大阪府保険課長ハ各種保険施設ノ運営ニ付テハ指導モ監督モスルケレドモ病院ヲ建築シタリ機械ヲ設置シタリスル様ナ仕事ハ管掌セヌ之等施設ノ整備ハ他ノ当該機関ガ之ヲ行フトノ意味ノコトヲ証言シテ居ル果シテ然リトスルナラバ井上忠光ニハ単ニ委任ニ基ク費用支出ノ権限ガアツタ丈デ各種施設ノ建築設置ヲスル権限ハ無カツト断ゼザルヲ得ナイ而シテ国民健康保険法ニヨレバ本件布施診療所ハ国民健康保険法ニ基クモノナル以上其ノ建築ノ主体ハ市町村又ハ組合デアル筈ナノニ本件デハ其ノ点カ明確ニサレズ漫然井上忠光ニ権限ガアツタトサレテ居ル又船員病院ハ船員保険法ニ基クモノナル以上政府(厚生大臣)ノ所管デアルニ不拘政府ハ費用ノ支出ヲ委任シタノミデ病院ノ建築ニ付テ何処ニ何人ニ委任シ委嘱シタカ原審記録デハ明カデ無イ換言スレバ保険課長タル井上忠光ニ右ニ施設ニ要スル費用ノ支出方ヲ委任サレタ事実ハ明カデアルケレドモ其ノ建設工事ハ何人ガ之ヲ主宰スルノカ記録丈デハ明カデ無イ処ガ原審証人竹内成夫(大阪府営繕課長)ノ証言ニ徴スレバ大阪府ニハ建設工事ヲ為ス部ガ二ツアツテ土木部及建築部ガ夫レデアル営繕課ハ其ノ建築部ニ属スル一課デアツテ府費ヲ以テスル建築工事ヲ為スノガ本来ノ使命デアルケレドモ従来ノ取扱慣例ニヨリ国費支弁ノ建設工事ヲモ亦当該官庁カラノ委託ニヨツテ之ヲ為シテ居ル事実ガ認メラル今本件ニ付テ之ヲ見ルニ大阪府民政部長ハ厚生大臣カラ右二施設ノ費用支出ニ付テノ委任ヲ受ケルヤ如何ナル規定ニ則ツタノカ判明シナイガ部下保険課長井上忠光ヲ遣シテ大阪府営繕課ニ之等二施設ノ建築ヲ委託シタヨツテ営繕課デハ一切ヲ引受ケ独立シタ権限ノ下ニ設計書ヲ作リ営繕課ニ於テ信用アルト認ムル業者ヲ指名シテ競争入札ヲ行ハシメ其ノ最低入札者タル松村組ニ工事ヲ注文シ工事ニ当ツテハ営繕課ヨリ監督者ヲ派遣シ工事竣功スルヤ営繕課自身ノ手デ竣功検査ヲ行ヒ以テ之ヲ受取リ保険課ニ引渡シタ経緯ガ明カデアル此ノ経緯ニ鑑ミ営繕課ガ工事ノ注文者デアリ契約ノ当事者ダトスレバ格別若シ然ラズトスルナラバ之等工事ノ注文者ガ何人デアルカハ依然トシテ不明デアル尤モ被告人ノ警察官ニ対スル第七回供述調書ニヨレハ布施診療所ノ建設ハ保険課デスルト云フ話ダツタノデ同診療所工事ハ保険課ガ契約担当者デアリ支出責任者デアル旨ノ供述ハアルケレ共法規上ノ根拠ハ示サレテ居ナイ由是観之井上忠光ニハ費用支出ノ権限コソアツタケレドモ建設工事ニ付テ迄モ其ノ権限ガアツタカ否カ判明セナイ仮リニ権限ガアツタニシテモ少クトモ営繕課ニ委託シタ範囲ニ於テハ井上忠光ハ其ノ権限ヲ失ツタモノト見ルノガ相当デアルノミナラズ却テ営繕課ガ入札サシタ以上同課ガ建築ノ責任者デハアルマイカ従テ被告人ヤ井上忠光等カ原審公判或ハ供述調書ニ於テ井上忠光ニ建設工事ニ付テ迄モ権限ガアツタカノ様ニ申立テ居ルノハ誤解デアリ誤想ニ基クモノデアル竹内営繕課長ガ船員病院建築ニ当リ井上忠光ヨリ「被告人ノ会社松村組ヲ排シ下田組ヲ指名入札者ニ加ヘテ貰ヒ度イ」旨執拗ニ要求セラレタニ不拘下田組ノ信用程度ヲ勘案シ断乎其ノ要求ヲ拒ケ松村組ヲ入札者ノ一員ニ指名シタ事実ハ此ノ間ノ消息ヲ雄弁ニ物語ツテ居ルモノト信ズル

然ルニ原判決ハ之等二病院ノ設置建設ニ付テ井上忠光ニ其ノ職務権限アリシモノト断シ被告人ニ贈賄ノ責任アリトシタノハ全ク事実ノ誤認ニ基クモノト信ズル尤モ井上忠光ニ費用支出ノ権限ノアツタト云フ点ハ所謂職務ニ関スルモノナルカノ疑ガアルケレ共本件ニ於ケル支出ハ営繕課ヲ介シテ為サレル間接的ノモノデアル竹内証言ニヨレハ布施診療所並ニ船員病院ノ工事費ノ支払ハ府営繕課ノ係長ノ厳重ナ査定ヲ受ケ営繕課長ノ決裁ヲ経テ其ノ書類ガ保険課ニ廻サレ保険課ハ自動的ニ支払フ事ニナル即チ府費ノ工事ガ同様ノ手続ヲ経テ府会計ヨリ支払フノト同様デアルト云ツテイル又府費ニヨル工事ノ指名業者ヲ決定スルノニ会計担当者ノ事前合議ヲ要シナイカラ右ノ二工事ニツイテモ同様ノ考ヘノ下ニ適正ナ業者ヲ決定シ井上忠光ヨリ船員病院工事指名ニ下田組ヲ推薦サレタケレド適当デナイト思ツテ指名ニ入レナカツタト証言シテイル故ニ法ノ謂フ職務ニ関スルノ意ハ此処迄ハ及バナイモノト信ズル井上忠光ガ入札指名ニ関シテ彼此ト容嘴シタノハ費用支出ノ受任者ナルコトヲ傘ニ着テ鬼面人ヲ嚇シタモノニ過ギナイ

要之原判決ハ職務ニ関スルモノナリヤ否ヤニ付テノ審理ヲ尽サナカツタ為メニ結局事実ノ認定ヲ誤ツタ疑ガアリ当ニ破棄シテ再審理セラルベキモノト信ズル

弁護人渡部繁太郎の控訴趣意

第一点原判決はその理由にくいちがひがあるか事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決は被告人は

第一、当時大阪府民政部保険課長として健康保険法に基く診療所其の他の保健施設に関する事項を担当していた井上忠光に対して

昭和二十三年五月下旬頃松村組を布施市民病院の改築工事の入札に加入せしめられたい旨の請託趣旨の下に

二、同年十二月下旬頃井上忠光に対し前記改築工事を完成するに当り井上忠光から竣工検査工事支払等につき職務上種々世話になつたことに対する謝礼の趣旨の下に

第二、の一に於て当時大阪府民政部保険課長として船員保険法に基く船員保険の保険施設に関する事項を担当していた井上忠光に対し

一、昭和二十三年三月下旬頃松村組を船員病院の建築工事の入札に加入せしめられたい請託の趣旨の下に

二、同年四月二十四日右建築工事につき同人から職務上種々世話になつた事に対する謝礼並将来も便宜の取扱を請託する趣旨の下に

三、同年六月下旬頃右建築工事の竣工検査工事費支払等につき同人から職務上世話になつた事に対する謝礼の趣旨の下に

何れも金員を交付し以つて井上忠光の職務に関し賄賂を供与した旨事実を認定した「保険課事務分掌内規」によれば保険課長である井上忠光が健康保険法に基く診療所其の他の保健施設に関する事項及び船員保険法に基く船員の保険の保険施設に関する事項を担任していたことは認められるけれども右事務分掌内規の「保健施設に関する事項とはこれ等の施設の運営保存に関する事項と解せられるのみならず原審証人野元義徳の証言によれば「保険課では建築について素人であるから業者の選定及工事の監督は営繕課にまかせたので保険課としては工事を早くやつてくれと云う以外タツチ出来ない」旨、述べて居り又証人竹内成夫の証言では「自分は大阪府建築部の営繕課長であるが布施市民病院及船員病院の工事は営繕課が保険課より依嘱されたもので請負業者の選定工事の監督竣工検査等の権限は営繕課にあつて業者の選定については保険課の承認を受ける必要がなくこれ等の点について保険課では何等の権限がなかつたのであつて国費の工事である船員病院の工事については保険課より委嘱をうけて営繕課に於て設計工事監督竣工検査並に竣工調書の作製等一切の権限を持つていたものであることが認められる。

これによると、保険課長である井上忠光は前示各工事について入札加入業者の選定工事の監督竣工検査の権限がなかつたことが明らかである。

尤も井上忠光が右工事について厚生大臣から支出官として指定せられ且右各工事の契約官であつたことは否めないところであつて営繕課に該工事の建設の依嘱した後に於ても右井上忠光が入札者の指定工事監督竣工検査についても二次的にその権限を有すのではないかという疑いがないではなく大審院判例も公務員の職務権限につき広汎な見界をとつているのではあるが物の所有者が賃貸物についていて現実の占有がないのと同様営繕課に依嘱後は井上忠光には右に述べた様な事実関係即ち権限がなかつたと解するのが妥当と考える。

井上忠光は右の如く職務権限がないのに企図するところがあつて恰も入札者を指定する権限がある如く振舞つたもので被告人も同人に権限がある如く錯覚を起し幻に踊らされていた訳である。

二、原判決は第三ノ二に於て松村組は大阪府土木部特別建設課所管の連合国進駐軍関係の維持管理工事を請負い施行し其の工事の指導監督竣工検査工事費の査定等を同課工事係長杉本清範から受けていたが被告人は昭和二十三年十月中旬頃右杉本清範に対し前記工事費の査定等につき職務上便宜の取扱を受けた事に対する謝礼の趣旨の下に真継昇を通じて現金五万円を交付した旨事実を認定したが原審証人杉本清範の証言によれば同人は昭和二十三年九月十四日大阪府土木部特別建設課より同部指導課に転任したことが明らかである。

右指導課では右判示の様な事務を管掌するものではなく従つて杉本清範も転任後は右の如き権限を有しないものであるから被告人が杉本清範に対し同人が他に転任後判示の如き職務に関する謝礼として金銭を供与したことが贈賄罪を構成するものとするには杉本清範が右土木部特別建設課に在任中に賄賂を贈る旨約束した事実を認められなければならないのに漫然判示の如く認定したのはその理由にくいちがひがあるか或は事実を誤認しその誤認が判決に影響を及ぼすことが明かであるから破毀せらるべきものと謂はねばならない。

第二点第一点が理由がないにしても原判決は事実の誤認がありその誤認が判決に影響を及ぼすものである。

一、判示第一ノ一の点については被告人は全然関与しなかつたものである。被告人は昭和二十三年五月二十日から高松地方に出張したこと、松村組の合計原簿に同月二十二日矢野義雄に対する雑費として金二万円を支払つたことは原判決で認めたところである。業務部長である被告人が不在の時には総務部長其の他の部長の決裁で支払はれるものであることは証人真継昇井口糾の証言で認められるものであるに拘らず雑費支払の記帳は一応仮払で支出し書類が揃つた後整理記帳する場合もあるという理由だけで被告人の不在中の出来事を被告人の責に帰せしめた原判決はこの点で認誤があるものと謂はねばならぬ。

二、判示第一の二の点についてこれは当時松村組が請負つた布施診療所が落成したので被告人は御歳暮の意味を含めてその記念品を贈るべく真継昇に何か品物を買つて持参する様命じたところ右真継は現金のまま渡したものであることが被告人の供述によつて認められるところである。二万円という額は斯様な意味のものとしては多額に過ぎるという見方もあると考えられるがこの種の業者の慣例として工事が落成した時には関係者を招待することもあり施主に記念品を贈呈するのを常として居るのであつてその価格も一、二万、時には五、六万円位の電蓄軸物等を贈呈することもあるので右の様な実例から見ても前示二万円は決して儀礼の範囲を超えたものということが出来ないのである。

三、判示第二の一の点は被告人が井上忠光より金三万円を恐喝されたものである。即ち証人竹内成夫野元義徳の証言によれば当時被告人は井上忠光より松村組を船員病院の入札指名より除外する旨を申渡されたので周章狼狽したことが認められるのであるが業者が指名より除外せられるということは何か重大なる失態をした時でない限りなかつたものであつて指名除外ともなれば業者間にも知れ、ひいては各官庁の指名より除外せられる結果となるので業者として最大の不名誉であるばかりではなく会社が潰滅するに至ることもあり松村組として未だ曽つてこの様な事態に直面したことがなかつたのである。

二十余年もこの業界に勤め松村組の業務部長である被告人の受けた心理的影響は蓋し、生命身体財産に危害を加える旨の害悪の通知を聞いた時に比して優るとも劣らざるものであることは事態の性質上又被告人の供述によつて明らかなところであるから恐喝されて供与したものと謂えるのである。

恐喝せられて賄賂を供与した場合には贈賄罪を構成しないものであることは最近の最高裁判所の判例の示すところである。

四、判示第二ノ二の点被告人は井上忠光より例年の如く課員と共に花見をするから出席されたいと誘はれたのでその宴会に出席し会費として金二万円を出したものでありその宴席には課員始め多数の人が出席するとのことであつたし被告人もその宴会で大いに饗応され帰途電車の中で熟睡して宝塚まで乗り過ごした程であつたことは被告人の供述で明かなところであり決して井上忠光の職務に関して請託の趣旨の下に金を渡したものではない。

五、判示第二ノ三の点について被告人の供述によれば当時船員病院が落成したのであるが年末の事とて慣例により工事関係者を招待して席を設ける機会がなかつたため落成の記念品と又その頃井上忠光方の鳥小屋を造る為に会社より大工を派遣したのであるがその大工が井上より酒食の歓待を受け泥酔したのでその陳謝の意味も兼ねて金二万円を贈つたものであることが認められる。

該金額が決して儀礼的な趣旨を超えるものでないことは前示二、に述べた通りである。

六、第三ノ一について証人杉本清範の証言及被告人の供述によれば昭和二十三年八月頃大蔵省より山本事務官が来阪することになつていて杉本清範が同事務官から旅館の用意を頼まれたが費用がなかつたので松村組に寄附を仰ぐことゝなりその旨の依頼をして来たので被告人は大阪府土木部特別建設課に接待費として寄附したものでありこの接待の時には他の業者である桐田商会も寄附したものであることが認められる。

この様な寄附は警察署に道場建設費を寄附し学校に図書館建設費或いは図書代を寄贈すると揆を一にするものでかゝることはよく行はれているもので賄賂ではないのであるから右の事実も杉本清範の職務に関して賄賂を供与したことにはならないと考える。

七、判示第三ノ二についてこの五万円も被告人の東京出張中のことであつて出張より帰つてから事後報告を受けたことはあるが全く被告人の関知しないところである。証人の真継昇の証言によると五万円という額の決つたのは昭和二十三年十月十八日であつて金は総務部長の席で会計から受取つたものであり業務部長が居ない時には他の部長の決済で金を出していたことが認められるし証人井口糾は業務関係の費用は業務部長が不在の時には他の部長が決裁するが帳簿に記載されている以上自分に記憶のあるなしに拘らず自分が承認しているものであると述べているのであり証人小林叶の証言によれば被告人は、同年十月十一日から同月二十三日まで東京出張中であることが明かであるから右金五万円の支出については総務部長井口糾が決裁を与えたものであることが窺はれるのである。

其被告人が東京へ出張する前に真継にその承認を与えたのではないかという疑いがあるかも知れないが被告人の供述では前に真継から杉本に金を贈ることの話しがあつたがこれを拒否したことはあるが承認を与へた事はないのである。

被告人の不在中の出来事を被告人の責に帰せしめることは他に何等の理由がなければならないと信ずる。

以上述べた如くでありとすれば原審認定は何れも誤認でありその誤認は原判決に影響を及ぼすことが明かであるから破毀せらるべきものと考える。

第三点原判決は法律の適用に誤りがありその誤りが判決に影響を及ぼすことが明かである。

原判決は被告人の所為について刑法第百九十八条を適用しただけで同法第百九十七条乃至第百九十七条ノ三の何れの規定する賄賂を供与したものであるかを明かにしなかつたのは法律の適用を誤りその誤りは量刑上重大なものであると考えられるので判決に影響あるものといふべきであるから破毀せらるべきものと思料す。

第四点原判決は量刑が不当である。

以上の点が何れも理由ないとしても本件の犯情証人棚橋諒の証言及被告人の出身学校の恩師施主官庁の工事指名の責任者並に被告人の同窓友人等による陳情書によつて明かな通り被告人の性行経歴社会的地位等を考える時被告人に罰金五万円を科したのは過重であつて被告人に対しては刑の執行猶予の寛大なる御裁判を賜るのが妥当であると考える。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例